2017年3月27日月曜日

「縁」が「起」きてくる。



「ない」と思えば単なる偶然に過ぎなくても、「ある」と思えば見えてくるもの。
このところ、「縁」というものに思いを馳せる機会が、多々あるように感じています。

先日は、ある小学校の3年生のクラスが、授業の一環として鍛冶体験に来てくれました。
実はそこは、独特の教育方針で名の知られた学園で、私が最初に住み込みで働いていた同じ町にあり、当時から何となく気になっていた学校でした。

ある日突然、電話でその懐かしい名前を聞いた時には、びっくりすると同時に、どこか嬉しさも感じたり。
まったくの偶然ではあるのですが、それもまた「縁」かもしれない、と。

米作りも、家までも作ってしまうという小学生たち。生き生きとステンレスの小匙作り、楽しんでくれたようです。
最後には、この日のためにと練習してきた、鍛冶屋の詩を暗誦してくれたり。

また、先日体験に訪れてくださった方は、ずっと以前、まだ独立開業したばかりの頃、メールマガジンで紹介された私の展示会のお知らせを覚えていてくれて、ある時ネットストアでフライパンを見かけて、もしかして…と探してくださったのだとか。
意外と近くに何度もいらしていたり、妻の実家の隣町出身だったりと、偶然の連続に、話も弾みました。

人でも、物でも、出来事でも。
出会うことはみな、何らかの確率であったり、偶然の積み重ねであるのかもしれません。

それでもそこに、何かを感じたら。

すぐそばにいたり、ずっとあり続けているものでも、知らなければ、自分の中には存在しないも同然だったもの。
それが、探し求め、出会うことで、その瞬間に、 ぱっと立ち現れてくる。

「縁」が「起」きる。
その瞬間に見えてくる、自分自身の大切な意味。

いくつもの偶然の出会いの中から、かすかなシグナルを手繰り寄せるようにして、誰もがそれぞれにとっての確かな意味や物語を、紡ぎだしていくのかもしれませんね。
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